計画の背景と建設
明治政府は、北方開拓のため1869(明治2)年に開拓使を設け、北海道の開拓を本格的に開始しました。当初は、旅行者の宿泊施設として本陣、脇本陣、本庁分局などの施設をあてていましたが、新たな宿泊施設の必要性が高まり、豊平館が設置されることになります。敷地を現在の札幌市中央区北1条西1丁目(現札幌市民ホール所在地)に定めて1879(明治12)年春に着手され、翌1880(明治13)年11月に本館工事が完成しました。豊平館の名前は、工事入札の直後に決まったものらしく、1879(明治12)年1月頃から登場しています。その後、附属施設、周囲の鉄冊や門などの外構、庭園の工事が行われ、1881(明治14)年8月にすべてが完成しました。