豊平館の歴史|豊平館
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建築中の豊平館

建築中の豊平館 北海道大学附属図書館所蔵

計画の背景と建設

明治政府は、北方開拓のため1869(明治2)年に開拓使を設け、北海道の開拓を本格的に開始しました。当初は、旅行者の宿泊施設として本陣、脇本陣、本庁分局などの施設をあてていましたが、新たな宿泊施設の必要性が高まり、豊平館が設置されることになります。敷地を現在の札幌市中央区北1条西1丁目(現札幌市民ホール所在地)に定めて1879(明治12)年春に着手され、翌1880(明治13)年11月に本館工事が完成しました。豊平館の名前は、工事入札の直後に決まったものらしく、1879(明治12)年1月頃から登場しています。その後、附属施設、周囲の鉄冊や門などの外構、庭園の工事が行われ、1881(明治14)年8月にすべてが完成しました。

竣功した豊平館

竣功した豊平館 札幌市公文書館所蔵

開館と明治期の様子

完成直後の1881(明治14)年8月30日から9月2日にかけて、豊平館は明治天皇の北海道行幸の札幌の行在所にあてられ、華々しいスタートをきります。開館から2ヶ月後の1881(明治14)年11月6日、開拓使は民間に建物の無償貸し付けを行い、旅館と西洋料理店が営まれました。1882(明治15)年2月、開拓使が廃止となり、豊平館は札幌県の管理に移りますが、ほどなく宮内省の管理となります。さらに1890(明治23)年に御料局札幌支庁が設置されるとこの管理となるなど、建物の所属は変わりましたが、北の都を代表するホテルや宴会場としての役割を担っていました。1899(明治32)年10月、北海道区制が敷かれると地方自治の発足とともに、区長による豊平館の利用が行われるようになり、これが公民館機能の始まりとなりました。

豊平館(1918年)

豊平館(1918年) 札幌市公文書館所蔵

大正期の様子

大正時代に入ると、札幌は大都市としての基盤が着実に形成されていきました。1918(大正7)年には、中島公園や札幌駅前通などを会場に、開道五十年記念北海道博覧会が開催され、札幌はかつてない賑わいをみせます。こうした活発な動きの中で、豊平館は収容力の少なさを指摘されはじめ、新たな公会堂設立の機運が高まっていきます。
1922(大正11)年、札幌に市制が施行され、同年12月、豊平館は札幌市の所有となります。そして、かねてから動きのあった公会堂新設の計画が急速に具体化することとなります。

豊平館北側に設置された公会堂(1927)

豊平館北側に設置された公会堂(1927) 札幌市公文書館所蔵

公会堂時代

1927(昭和2)年11月、豊平館の北側に附設して新公会堂が完成し、豊平館は昭和の始まりとともに新しいスタートをきります。公会堂とは豊平館と新館を併せた名称でしたが、別々に分けて呼ぶこともありました。市民が待ちこがれた公会堂は、開館早々から盛況を呈していました。1933(昭和8)年には明治天皇行幸のゆかりの聖蹟として、豊平館は史蹟に指定されています。
※1948(昭和23)年に史蹟指定は解除されています

豊平館(望楼から)(1951)

豊平館(望楼から)(1951) 札幌市公文書館所蔵

戦争と豊平館

1941(昭和16)年に太平洋戦争が始まると、1943(昭和18)年に豊平館は札幌に置かれた陸軍北部軍の占有となり、営業は一切中止されます。戦争終了後、豊平館は進駐軍に接収され、各部隊の宿舎にあてられます。1946(昭和21)年には、進駐軍が三越札幌支店を接収したため、その代替として三越が豊平館で営業を行いました。札幌市に豊平館が戻ったのは、1947(昭和22)年10月のことでした。戦後の社会教育の推進は豊平館の公民館機能を高めさせ、1948(昭和23年)2月に札幌公民館として再出発することとなり、さらに1949(昭和24)年9月には札幌市民会館と改称されました。

豊平館の解体(1957)

豊平館の解体(1957) 札幌市公文書館所蔵

中島公園への移築

1956(昭和31)年、市民会館を改築し、市民の文化活動の総合センターとする運動がおこり、札幌市もこの要望に応え新しい市民会館を建設する方針を固めました。新しい市民会館は豊平館がある敷地を建設地にしたため、この時すでに完成から76年の歳月が過ぎた豊平館を取り壊すか保存するかの議論となりました。市民や学識経験者から貴重な建築物を残そうという意見が多く寄せられ、移築保存が決定しました。豊平館は1958(昭和33)年5月、ここ中島公園に移築保存されました。

結婚式場利用申し込みの様子(1964)

結婚式場利用申し込みの様子(1964) 札幌市公文書館所蔵

結婚式場としての活躍、
そして現在へ

移築後の豊平館は、1958(昭和33)年から開催された北海道大博覧会の郷土館と美術館に約2ヵ月間利用され、この開催終了をもって総合結婚式場として開館しました。初めて行われた結婚式には、当時の市長が祝辞を述べ、新郎新婦と共に豊平館の新たな出発を祝福しました。1964(昭和39)年には重要文化財として国の指定を受けます。豊平館は由緒ある結婚式場として多くに人に親しまれ、1967(昭和42)年頃までは年間1,000組以上の挙式が行われるほどで、市内で最も多く利用される式場でした。1980(昭和55)年には創建100年を祝う記念式典が開催されました。1982(昭和57)年度からは、5ヶ年の年月をかけて修復工事が行われました。さらに2012(平成24)年から2016(平成28)年3月まで、耐震補強を含む保存修理や、新たに附属棟設置などの活用整備工事などが行われました。
これらの工事の中で、建設当時の姿へと復原も進められ、現在は集客交流施設として活用しています。

豊平館外見写真

年表 豊平館の歴史

西暦 年号 豊平館のできごと
1878(明治11) 開拓使により建設の計画がはじまり、
安達善幸が設計を行う
1880(明治13) 11月竣工 12月3日落成式が挙行
1881(明治14) 明治天皇行幸の行在所となる
1882(明治15) 札幌県の所管となる
1883(明治16) 幌内鉄道全線祝賀会を開催
1885(明治18) 宮内省の所管となる
1886(明治19) 北海道庁初代長官、岩村通俊が
豊平館で北海道拓殖の構想をねる
1910(明治43) 宮内省から札幌区に貸下
1911(明治44) 皇太子(後の大正天皇)行啓
1922(大正11) 皇太子(後の昭和天皇)行啓
豊平館が宮内省から札幌市に下賜
1927(昭和2 ) 豊平館の北側後方に公会堂落成
1,500人収容の大集会所を設ける
1943(昭和18) 陸軍北部軍飛行第一師団の 司令部が占有
1945(昭和20) 進駐軍が接収、駐屯部隊の宿舎として使われる
1946(昭和21) 一時、三越札幌店が移転し売場となる
1948(昭和23) 国の史蹟指定も解除
札幌市公民館と改称
1949(昭和24) 札幌市民会館と改称
1958(昭和33) 中島公園へ移築が完了
北海道博覧会が開催「郷土館・美術館」の会場として使用される
総合結婚式場としてスタート
1961(昭和36) 札幌市有形文化財に指定される
1964(昭和39) 国の重要文化財に指定される
1968(昭和43) 一万組目の結婚式が行われる
1982(昭和57) 五ヶ年計画で保存修理工事が始まる
2012(平成24) 五ヶ年計画で耐震補強を含む
保存修理、活用整備工事が始まる
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